ここ最近考えたこと
Publish date: Apr 10, 2020書いていたら、とても長くなってしまったの。
昔のことや今のこと、今後のことを考えていたらまとまらなくなってきた。
文章に残して、整理する。
BGMはKing Gnuを聴きながら書いたので
よかったらBGMにどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=ony539T074w
だいたい自宅にいて、たまにお散歩がてら食料を買いに外出して気分転換する生活にも慣れてきた。
最初は不安が大きかったのだけれども、よくも悪くも慣れるものなのだなと思った。不安になっているときは体調を崩しがちで、だいたい半日~1日でその期間が終わると
「できる範囲でできることをしていこう」
って脳内にいるもうひとりの自分 (めっちゃポジティブ) が声を掛けてくる。
基本的に何かトラブルがあって窮地に陥っても、コイツ (めっちゃポジティブ) のおかげで笑って乗り切れるところがあるので感謝している。
視野を広く持ちたいと思うが、家族を支えて守ることがまず最優先になるなぁ。
不安定な環境が続くと、それ自体に慣れるのかもしれない。
(できれば、あまり慣れたくないな。)
大きな変化があると「グエー無理ー」ってなるんだけれど、1日もあると脳内のポジティブマンが出てくるあたり、変化自体には強めなんだなと思う。
TVで、ホームレスの人が
「拾った新聞から情報は集めている」
と話しているのを観て、TVもスマホもなくて図書館も閉まっている状態では
情報の収集は困難だろうなぁと感じた。
情報リテラシーだとか、それ以前の問題なのかな。
以下、とても長い思い出話になってしまった。
田舎にいた頃から、上京して間もなくまでの話。
20歳を過ぎた頃、情報学部なのにPCもろくに触らずにHTMLを手書きするような授業で、大学を辞めてWebエンジニアになりたいと考えたとき
職安では
「未経験でWebエンジニアの求人は無いです」
と言われて
「そういうものなのか」
と諦めたの。
おそらく田舎だったせいなんだけど、そんなことを知るよしもなかったので。
その1年後くらいに、職業訓練の存在を知って
「これなら実技を学んだ証明になるし、未経験でも道があるのでは」
と思って調べつつ職安に行って話を聞いたら
「職業訓練を受けても、求人自体がないから難しいと思う」
って言われてしまったの。
その2年後くらいに、そろそろ求人あるかな〜と思って職安に行ったら
「Webエンジニアの求人は無いけれど、Webデザインなら年に2件くらい求人がある。そういった求人はIllustratorを使えるのが必須になっているし、スーパーだとかの広告や看板をデザインする仕事をしてみたらどうだろう。職業訓練もあるしIllustratorが使えるようにもなる」
と言われたの。
たぶん、一生Webエンジニアにはなれない。
Webデザイナーにはなれるのだろうか。
しかし、IllustratorしかできないWebデザイナーって何をするんだろう?ボタンやアイコンのデザインはもちろん大事だと思うけれども。中の動きや構造だとか、少なくともフロントの知識がある程度なければ実情に沿わないデザインが出来上がるだけでは…
って、当時はいろいろと疑問を感じながら
結局、塾講師を続けることにした。
子どもの頃から母の知人が運営していた障がい者施設に通っていたので
昼間は施設ボランティアでもしようかと考えていたら
たまたま臨時職員の枠があると聞いたので、塾側も施設側も副業OKが出たし
ダブルワークをすることになったの。
上京して、エンジニア向けの転職エージェントでの面接で
「GitHubに成果物を残して。20代後半で未経験だと、見える実績がなければ難しい」
と言われて
それまでノートPCを片手に仕事をする人間を、目の前で見たことがなかったので
なんだか (GitHubってなんだ・・・?と) クラクラしながら「生き方そのものを変えなければいけないのかもしれない」って思ったの。紙のメモ帳にメモを取っているようではダメなのかなぁと思った。
画家の先生に師事して、絵画を習っていた頃に
「絵の先生だけで食べている人は、プロの絵描きにはなれなかったということ」
と話していて
「絵を売らなきゃなぁ」
とボヤくのを聞いて、エンジニアになりたければスクールに通うのではなく
実際にエンジニアとして働いている人から話を聞きたいと思った。
どうやらエンジニアと話すには
「もくもく会」
というものに参加するのが良いらしい、と知って
燻製肉でも食べる会なのかしらと思いつつ、色々な開発コミュニティに参加するようになった。
尊敬できるようなエンジニアと知り合うことができたし、エンジニアとしてのキャリアについて考えるための様々なモデルケースを知ることができた。
今はこうしてエンジニアになれている。
“エンジニアになりたい"という理想を前提としたら、決して環境に恵まれていると言えない時期もあったけれども、人生で考えたら経験値を積めた。今は好きなことをしてお金を貰えている。努力もしたけれど、なんだかんだ幸運だったとも思う。
ずっとマイペースに学んでいたものが、思っていたよりもマラソンのように常に駆け足で学び続けるものなのだと知った。
学生時代は陸上部で、短距離選手だったの。
あまりマラソンは得意じゃなかった。
技術を、好きでい続けられたらなぁと思う。
常に新しいことを学びたいと思う。
単調作業は飽きてしまうので苦手だと感じる。
誰かから指示をされたり、ただ座って話を聞いたりするのも得意ではない。
自分で考えて、それを話し合って譲歩し合いながらやることを見つけていくのが向いているなぁと思う。
花屋でCSをしているとき
「これが自動化されていたら良いのに」
「ここは可視化して欲しい」
と、日々の業務の中で何がシステム化できるのか考えていた。
実際の業務を中心にデータ構造を考えて丁寧に作り込んだシステムを組んだとしても、業務の進め方ってカジュアルに変わるし、その需要に振り回されるのはツラいなぁと感じたの。
趣味で技術をつかうときでも
「なぜその技術を使うのか」
について、技術選定をするにあたってその根拠や動機づけは必ず考えてきた。
例えば、AWSについて学んだときは
レンタルサーバーではなく、なぜパブリッククラウドを選んで、その中でもGCPやAzureではなくAWSなのか。
(メディアストレージやメールサーバーなど、周辺リソースを一括で揃えられる。あとは自動スケーリングの特性。利用者の多いAWSであれば情報量が担保されている。独学だったため、情報量&コミュニティで聞けるエンジニアを捕まえられるかというのは死活問題だった)
学習コストや保守コスト、時間は有限なので常にアンテナをはりながら最適解を導き出さなければと感じた。
使う側と作る側、両方についてバランス良く視点をもちながら
広い視野で、求められている本質を常に考えつつ
優先されるべきは何か、後から身動きが取れなくなりそうな部分はどこか
ひとつひとつ言語化しながら、時期をみて共有する。
共有の仕方って、会議だけではないと考えていて
会議での発言は見える共有だけれども
ランチだったり、飲みの場だったり
他愛ない雑談の中での共有も
目に見えない意識の共有というのかな、そういったコミュニケーションも
見える共有と同じか、それ以上に大事だと思っています。